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編集部ブログ

まあ、服は着ててもいいんですが。

2018.11.01

カメラを構えた中村玄太郎

どうも。
よくエレベーターに「行き先ボタンを押してください」と怒られる中村です。
みなさん。カメラは好きですか?

僕は結構好きなんです。
早良区の加納典明と呼ばれています。
僕から。

と言ってもフルサイズも持ってませんし、ミドルでどノーマルのレンズしか持ってませんが写真を撮るのが好きなんです。

こんな感じ。
※クリックすると大きな写真が見れます。

 

基本的に星や夜景が好きなんですが、本当に撮りたいのは人なのです。
特に女性の美しさを切り取ることに挑戦してみたいですねぇ。
まあ、服は着ててもいいんですが。
まあ、どうしてもっていうなら脱いでもいいですけどね。
どーしてもっていうならよ?
ったくしょうがねーなぁ( ̄∇ ̄)

ポートレートというか人を取りたいんですよね。
でもどちらかというとポーズを決めた写真よりもナチュラルな瞬間を切り取りたい。

リアルな瞬間ほど画になる被写体はないと思っています。

となるとモデルさんではなく一般の方になってくるわけですが、ここで問題なのが「肖像権」です。
これ本当にわかりにくくないですか?
最近カメラ雑誌でもよく議題に挙げられています。

昔では考えられないくらいにカメラは進化して、携帯に付いた高画質なカメラで簡単に綺麗な写真が撮れる素晴らしい時代がやって来たのに、心ない使い方をする人たちのせいで文明の利器を思い切り楽しめない。
自分で自分の首を絞めているような状態になっています。

ネットに写真をアップするようなコミュニティーには連日「これは被写体に許可を取ってあるんでしょうか?」という類のコメントが見られます。
肖像権のボーダーラインについては、いまだに意見は色々とあって、どれか一つの意見を鵜呑みにするのはまだ怖い現状だと僕は思っています。

なのでせっかくのシャッターチャンスにカメラを構えても
「人が写り込んでいるからどうせどこにも出せないだろうな…」とカメラを下ろしてしまう。
そんな瞬間が本当に多くなりました。
そして訴えられることのない星を撮ることが多くなってきた気がします。

でも芸術の観点からするといい傾向ではないことは明白です。

ここで僕が1人で肖像権のボーダーラインの持論を語ったところで何の指針にも判例にもならないので、そんなことをするつもりはないんですが、やっぱりどんなに文明が発達しても使う人間が成長しなければ意味がないということを訴えたい。

歴史を変えるような便利なものができるたびに言われるのが「人間がダメになる」

それは違う。ダメになるのは当人の意思の弱さだ。
まあ、人間は弱い生き物だと言ってしまえば終わりだけど。

苦しんでいる人のために便利なものを発明する人もいれば、めんどくさい事を楽にしたくて自分で発明する人もいる。
すべての発明が動機まで美しいとは限らない訳だし、使い道や楽しみ方は人それぞれだけど、絶対にブレてはいけないところは「人様に迷惑をかけない」ということ。

ここをクリアすればすべてのものは肯定できる気がする。

昔、討論番組で「ネット犯罪」について政治家が業界代表としてゲストで来ていた某IT企業社長(当時)に対して詰め寄る中、「ネットのせいで犯罪者が生まれるわけではない!犯罪者はいつの時代もいたじゃないか!」と声を荒げていたのを思い出す。
同意だ。ネットは犯罪の「道具」でしかないのだ。ネットがなければ犯罪者は別の「道具」を使うだけ。
犯罪に走る心の弱さが問題なのだと思う。

地方や田舎の人にとってはネットや通販の登場は革命であり救世主だった。

すべては文明の利器を使う人間の品格にかかっている。

どんな写真を撮ったとしてもそのカメラマンと被写体の心が優しければ「肖像権」なんて生まれないはずだ。

いつの日か
どんな写真でも切り取れて、被写体も撮られることに不安にならずにデータをもらえるのが楽しみになるような時が来ればいいなぁと思っています。

まあ、最悪
服は着ててもいいですけどね。
( ̄∇ ̄)


中村 玄太郎