福岡発の制作会社リクトのWebマガジンリクトマグ|Web集客×福岡×スクール=広告費削減

特別企画

スパイ小説に学ぶ観察眼(シーズン4)

2019.05.30
写真:スパイ

こんにちは。児島です。
「スパイ小説に学ぶ観察眼」シリーズ。早くも4回目となります。

過去3回を振り返ると。

  • スパイとはビジネスパーソンとして優秀である。
  • こんな訓練内容にあなたは耐えられますか。
  • スパイに向かない外見。

おおむねこのあたりを書いてきました。ではさっそく今回の記事にいきましょう。

常識を定義する

常識とはその時代時代において、落とし処はこのあたりなんじゃない?とそこに関連する人々の思惑の中間地点を切り取ったものです。

スパイの世界に常識という概念は存在しません。

なぜならスパイの使命は、自国が有利となるような敵国の情報を持ち帰ることであり、さまざまに絡み合った思惑をベースとして物事を判断すると、その重要な使命に支障をきたすからです。

今回題材にしている小説「ジョーカーゲーム」にはD機関というスパイ養成学校が登場します。そのD機関内において、俗にいう軍人が常識とする考えは真っ向から否定されます。

たとえば敬礼。

敬礼イコール私は軍人でありますと言っているようなもの。

何かの拍子に敵国でそんな素振りを少しでも見せたなら、即刻目を付けられ、牢獄行きを招きかねません。そんなあるまじき行為はミッションに赴く前の段階で完全にシャットアウトしておく必要があります。

ストーリーの中で、他の軍部に所属する軍人がD機関へ偵察にやって来る場面があります。その軍人は日本陸軍内においては「常識」を持った一将校です。

そんな彼が、D機関のメンバーと過ごす数日のあいだに、今まで自分が常識としてきたものを否定される状況に度々遭遇することになります。 自分自身を否定されたというより国家そのものを否定されたに等しい感覚をおぼえた彼は、怒りや失望をあわらにするのです。

その一連の流れを見ながら、D機関のメンバーはこう一蹴します。

「閉鎖集団だから通用する考えだ。そこを離れてはとても長く持たない」

現代に置き換えると

この作品はフィクションであり、かつ戦争という特殊な時代性を描いているので、常識の意味合いはずいぶんと違います。

とはいえ「常識」という言葉だけを切り取り、現代社会に置き換えると、先ほど挙げたD機関のメンバーの一言はマンザラでもないことに気付きます。

「ここだから通用するけど、もし他のとこに行ったらそれ使えるの?」

自慢ではないですが、私は何度も転職をしており、外注として企業に入りこむことも多かったためたくさんの現場を見てきました。それぞれの現場には常識というかルールというか、そういったものが必ず存在します。本来それらは全体を円滑に回すためにあるはずです。

でもそれがあることによって、どこかで滞りが生まれていることも否定できない現実。なかなかに奥の深い問題と言えるでしょう。

常識を疑え!

いろいろなところでよく聞くフレーズです。 私は常識というのを普段からあまり意識していないので、それを疑えているのか!と言われれば、正直わかりません。

ただ一つ、「違和感を放置しない」という自分ルールがあるのでそれがここでいうところの常識を疑うことに該当するなら、それでまあいいか程度に考えています。

私はこのスパイ小説「ジョーカーゲーム」を何度も読み返します。その理由は、作者からの至極シンプルなメッセージを感じるからです。

「自分のあたまで、ちゃんと考えなはれ」

人間だれしも最後は自分で判断します。その判断は自分で考えた抜いた末のものなのか、他人による無責任な一言によるものなのかによって、人生は大きく枝わかれしていきます。とにかく後悔を重ねぬよう、お互い自分で考えるクセづけだけはしておきたいものですね。

では今回はこれで終わります。また次回お会いしましょう。


LCT編集部