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特別企画

私が電子書籍を出版した理由(シーズン8)~1/3の純情なフィクション~

2019.02.21

~1/3の純情なフィクション~
こんにちは。日本語の難しさを実感中の児島です。

私が電子書籍を出版した理由シリーズも今日で8回目となりました。今回は電子書籍の第三弾として出版した夢研究本「1/3の純情なフィクション」の制作裏話をしようと思います。

私と同世代の方ならタイトルを見てお気付きになると思いますが、日本のウルトラ・ハード・メロディアス・ロックバンドSHAM SHADEの名曲「1/3の純情な感情」から拝借しています。

タイトルを何にしようかと思っていた締め切り間近。全体を3つの章に分けていることに着目し、3という数字が入り、かつ知っている人はついニヤけてしまうようなタイトルがいいなぁと考えました。夢=フィクションと言い換えても意味合いはなんとなく伝わるはず、ということもありこのタイトルに決めました。

夢をメモする

これを読んでいるみなさんの中で、睡眠中に夢を見たことがないという方はきっといないと思います。つまりそれは、普遍的なナニかです。

私は社会人になったあたりから、夢をメモする癖がありました。きっと普通に生きていても経験することのないストーリーが頻発し、そこにおもしろさを感じたからではないかと思います。

当時紙と鉛筆を枕元に用意し、夢から覚めた朝はその夢をすぐにメモするようにしていました。寝起きというのはまだ覚醒していないからか、ヘロヘロな文字を書いていたりします。まるで象形文字のようで、後から見返して読めないことも多々ありました。

記憶の忘却曲線

記憶はどれくらいの時間スパンで忘れられていくかについて、エビングハウスという心理学者の「忘却曲線」がとくに有名らしいですが、夢においてもまったくことが言えると私は考えています。

エビングハウス氏のものは中期記憶、長期記憶と呼ばれるものにフォーカスしていますが、夢の忘却曲線は私曰く、超短期記憶(起きてから2,3時間後まで)にフォーカスしたものです。その日のお昼にあらためてメモしようと思っても、細かい部分はほぼ覚えていないというのが現実でしょう。

起きてすぐにメモしなければ質が下がってしまう。そのことに気付いてから枕元に紙と鉛筆は必須となりました。近年は紙から電子データへと記録媒体が代わったことで、メモするスピードに加速がついたのは間違いありません。

マレー半島のセノイ族

自分の見た夢を整理する作業の前に、その道の専門書をいくつか読みました。自分がやろうとしていることの意味がまったく掴めなかったからです。「先人たちの書物からその意味を自分なりに見出したい」。その現れだったと思います。

僧侶の明恵(みょうえ)や心理学者の河合隼雄氏の本は大きく参考にしました。その中でも、マレー半島の山岳部に住むセノイ族の話はとくにお気に入りです。

セノイ族には、子供たちが前の晩にみた夢を親に話す風習があります。夢の中で子供がその過程や結末を覚えていないことがあれば、次はもっとこうしてみたら?と親が助言をする。そうすることで仮にまた同じ夢をみたとき、親から聞いた言葉がどこかに残っていて、その夢をうまく体験することができるというものです。日常(意識)と夢(無意識)を相互的に生きることが成長につながるのだと彼らは考えているのです。

成功体験は人を成長させ、自信を持たせます。そういう意味で、私は夢に可能性的なものを感じているのです。寝ている時間も成長に繋がるのならば、それは利用しない手はありません。

新しい解釈

夢には自分を認められたいという欲求が至る所に配置されています。自己容認欲求というのか、自分のことを少しでも知ってほしい、分かってほしいという心情が夢の中の自分に行動を起こさせている気がするのです。

1/3の純情なフィクションは、30個の夢で構成されています。

そのうちの半分は「性」に関するものが占めており、自分には性にまつわる深い欲求が眠っているのかもしれないという新しい解釈を与えてくれました。表面化していないだけで、そういったものは誰の中にも存在するのかもしれませんね。

今回はここまでです。
このシリーズもあと2回で終わります。最後までよろしくお願いします。

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LCT編集部